甘えてみるとパートナーがどれだけ男前なのかに気づきますよ

こんにちは。Osabe夫婦、妻のあいです。

 

突然ですが、私、兄が二人いて末っ子なんです。

それを言うと「じゃあ甘やかされたでしょ?」と必ず言われます。

はい、その通り。

兄たちに比べると、フルタイムで働く母のことも全く手伝わないダメ妹でした。

何にも考えなくても勝手に物事は進んでいくし、お金の心配も将来の心配もしたこともありません。

のほほ〜〜〜んと生きてました。

まあ、甘やかされてたんですね。

でもね、甘やかされたからって『甘え上手』になるかというとまた別の話みたいです。

 

 

私は自分から何かが欲しいとか、ああしたい、こうしたいと言ったことがなかったんですよね。

意思表示が苦手。

何かをお願いするのも、気持ちや感情を表現するのも苦手。

いろいろと口に出せないまま、それが自分のなかで普通の状態になってしまいました。

だから常に「クールだね」とか「何を考えてるのかわからない」とか小さな頃から言われてきました。

 

 

甘えるって私にとっては最大のバンジージャンプ。

ちょーさんと一緒に暮らし始めた頃、こんなことがありました。

料理中に「あー、お皿が取れないー><」と言ったら、「どれどれ。はい♬」とちょーさんがキッチンにわざわざきて食器を取ってくれました。

そして「あいちゃん、今の可愛かったよ^^ 」と言うではありませんか!!!!

ええええ!こんなことが???

何か台に乗れば取れるお皿です。

一人でやろうと思えば取れるのに。

「そんなの自分でやれよ!」と思わないのか!?!?

可愛いですって!?

驚愕!!

バリバリ働き、一人暮らし暦14年でほとんどのことは自分でできるようになってしまっていた私は落雷にあったかのような衝撃を受けました。

そう。

私、「手伝って」「助けて」が全然言えなかったんです。笑

 

 

この衝撃から私の『甘え下手』克服トレーニングが始まりました。

「手伝ってくれる?」「これをやってもらえる?」

同時にやってもらったら気持ちをしっかり表現することも。

「うれし〜〜」「ありがと〜〜〜」「すごいね〜〜〜」

それまでの5倍くらいオーバーに表現してたと思う。

嬉しさが伝わりにくいタイプなので^^;

最初はね恥ずかしかったですよ〜〜〜〜〜

キャラ変なので、そりゃあもう赤面ものです。

「何やってんだ、私」ってね。

でもね、そんなのだれも見てないし、気にしてなかった^^;

気にしてるのは自分だけ。

なによりも、目の前のちょーさんが「ありがとう」や褒め言葉をよく言ってくれるし、頼み上手な人だった。

それに素直に感化されていったのかもしれません。

 

 

そんなこんなでちょーさんと一緒にいるようになって私は初めて素直に甘えること(=感情表現)ができるようになってきました。

でもね、まだ全て言えてるわけではないんです。

まだまだ壁はある。

今、ちょーさんが働き始めて、私の生活費は全てちょーさんが出してくれてるんですね。

毎月行ってる旅の費用も全部。

こんな生活したことないから嬉しくて嬉しくて、ありがたくてありがたくて毎日拝んでいます。

でもね、どこか罪悪感がありました。

ちょーさんが仕事で疲れた顔をしていると申し訳なくなって。

私が無理に我慢させてるのかもしれない。頑張らせてるのかもしれない。

私は別なところで役に立たないといけない、ちょーさんにこれ以上手間をかけさせちゃいけないって。

そんなある夜、眠る前に二人で静かに瞑想したりぼんやり過ごしていました。

私は「はちみつレモン飲もう♬」と冷蔵庫に行きました。

はちみつの瓶を出したら、蓋が硬くて開かなかったんです。

「開けるの面倒だから白湯でいいや」と言ったら

ちょーさんが「ちょっと待ってて」とキッチンに立ちます。

「いいよいいよ、わざわざ」と止めてもちょーさんは聞かずに、すぐに熱湯に瓶をつけて蓋を開けてくれました。

こうた
飲みたいと思ったものをちゃんと飲んだ方がいいよ。なんでも任せて!あいちゃんのやりたいことを全部叶えるから。あいちゃんが喜んだ顔を見たいからね^^

なんかね、それを聞いた瞬間に力が抜けました。

今書いてるだけでも泣ける・・・・・

なんだ・・・・ちょーさんはただ私を喜ばせたいんだ。

私は素直にお願いをして、叶えてもらったら思うまま喜べばいいんだ。

勝手に私は自分がお荷物になっている気がして、勝手に遠慮して、勝手にちょーさんの限界を決めてたな。

私が思うよりずーーーーっと、ちょーさんの器は大きくて深かった!

はちみつレモンだけでこんなこと気付けるなんてね。

ちょいちょいこうやって彼は私が感動するようなことを言います。

すごい人です、ちょーさんは。

 

 

甘えられないっていうのは「そんなことを言って迷惑だと思われたくない」「面倒な奴だと思われたくない」「拒否されたくない」っていう思いがあるから。

そして、相手が自分と同じ基準で「迷惑」「面倒」「拒否」すると思ってるからかもしれない。

でも、相手は自分よりはるか上をいく基準かもしれないですよね。

自分が面倒だと思うことも面倒じゃないし、迷惑でもないし、拒否なんてしないかもしれないんです。

相手がどう思うかなんて、私はコントロールできないしもうお任せするしかないんですよね。

だから言ってみなきゃわからないし、やってみなきゃわからない。

こわいけどね。

拒否されたらものすごく傷つくしね。

でもそれに怯えてたら見たいものすら見えないままかも。

 

 

甘えることは相手を信じることだし、頼ること。

身を任せること。

それを自分が思う以上に相手は喜んでくれているのかもしれない。

だとしたらその大きな大きな愛情をちゃんと受け止められる器を、私も持たないと。

そんなことを感じた夜の出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

「好きなときに、好きな場所で、好きな人たちと好きな仕事をする」ことが目標。 現在はファッションアドバイザーとして活動中。