41歳になりました。

こんにちは。Osabe夫婦、妻のあいです。

1月20日は私の誕生日です。

夫ちょーさんがヤル気がおきなくて寝ている間にめでたく41歳になりました。

41年間無事に生きてこられたことに感謝しかありません。

歳を重ねることに恐怖しかなかったのは28、29歳の頃で、それを過ぎたら気楽なもの。

若い時に戻りたいなんて今は1ミリも思いません。

ここ数年は毎年人生で一番楽しいのが「今!」なので。

今よりも体力や気力が衰えてきたらいつかきっと戻りたいと思うのかもしれないけれど。

 

さて、今日は誕生日ということで、家族について書いてみます。

家族のことを話しだすと昔から私は涙が出ます。なぜなのかわかりません。

今この時点ですでに涙を浮かべながら書いています。ほんと不思議。

 

36歳の時、私は仕事をして遊んで独身生活を謳歌していました。

36歳で母は私を産み、

今の私の歳で教師としてフルタイムで働き、兄2人と私を一人で育てました。

いまの私が子供3人抱えて仕事できる?!いや、無理!

母親が自分の産んだ年齢を越えて初めて実感する母親の偉大さでした。

 

 

母はいつも凛として正しくて強くて、そういうものなんだと思っていました。

自分が36歳になった時、できることはたくさん増えたけど、子供の頃に描いいたほど全然大人じゃない。泣くし、喚くし、弱いし、バカだし、惨めなことがたくさんある。

母ももしかしたらそんな普通の女性だったんじゃないかと考えました。初めて。

きっと愚痴も弱音も言いたかっただろうし全部投げ出したかっただろうな。

でも、そんな暇も余裕もないし、黙って話を聞いてくれる相手もいなかったかもしれない。

一人で頑張るしかなかったのかもしれない。

一番近くで過ごした私はそんな風に想像する力がありませんでした。

何にもお手伝いもしないし、優しい言葉もかけられないし、習い事も続かないし、何をやっても中途半端で全然母の期待には一つも応えられなかった。

進路を選ぶとき周りの友達は「親にお金が無いと言われて志望校は諦めた」とか散々聞かされたけど、私はお金を理由に選択肢を狭められることはありませんでした。

『お金や物は奪われたりなくなることがあるけど、知識と経験は必ず自分の中に残って財産になる。ママが残してあげられる唯一の財産よ』

そういう方針でした。

朝ごはんを抜いたことは1日もありません。必ず食べさせられました。

お弁当はいつも母の手作りだから茶色のおかずばかり。当時は市販ウィンナーとかレトルトのミートボールとかプチトマトが入った友達の可愛いお弁当に憧れました。

おやつはおせんべいか蒸しパンか果物。(地味)ジュースやスナック菓子はお誕生日会のときだけのご馳走でした。

そのおかげでこの健康な体なんだと今ではよくわかります。

世界一好きな食べ物は母のごはん。

こうしてお金も手間もかけてもらいながらなんの苦もなく大学まで卒業したのに、そのあと遅い反抗期がやってきてしまします。

母のお金をたくさん使い込んでそれがバレて大げんかをし、数年間、絶交状態だったこともあります。兄達にもものすごく心配をかけました。

ずっと「男性に頼らず一人で生きていける力をつけなさい」と言われていたけれど、そんな強くも賢くもなれない。ママみたいにはなれない。

そう反抗し、でも認められたいという気持ちもあって懸命に仕事をしてきたのかもしれません。

30を過ぎてようやくまともに話せるようになり、年に1度は旅に出るようになり今でもそれは続いています。

でも、まだまだ素直になりきれませんね。喜ばせられるようなことも言えません。

母は私に「ほったらかしで手をかけてこれなかった。自分の子育ては後悔ばかりだ」と言います。

そう思うのは母の勝手なのでいいのですが、私は十分に手も愛情もかけられたと感じています。

小さい頃から離れて育った兄たちからも。

愛されてることに疑いを感じたことは一度もありません。

父がいない生活を寂しいと思ったことは一度もないし、父を嫌うことも恨むこともせずに私は育ちました。

母と兄2人が守ってくれてたからだと随分あとから知るんですけどね。

 

 

私が結婚してからのことです。長兄が話してくれました。

私が生まれる前はバラバラだった家族が「愛が生まれた時に初めてうちの家族はまともに揃ったんだよ。だからお前はそれだけで十分孝行してる。」と。

生まれてきた意味がわかった気がした瞬間でした。

ああ、もう私はそのままでいいんだ。いい娘じゃないけどよかったんだ、と。

なんだか色々力が抜けました。

 

 

「愛という名前の通り、みんなに愛されてるね」と最近よく言われます。

みんなに愛されますように、と名付けられました。

だからその通りになったということですかね。笑

結婚に夢なんて1ミリもなかったけど、なんだかとても楽しい結婚生活だし豊かな人生です。

 

ママ、ありがとう。

お兄ちゃんたち、ありがとう。

パパ、ありがとう。

生まれ変わってもまた父と母の子で、兄たちの妹で生まれてきたいと思います。

 

 

やっぱり鼻水を垂れ流し、涙が溢れて前が見えません。笑

駄文に長々とお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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2 件のコメント

  • マネージャー(T_T)
    泣いちゃいました-休憩室で!笑

    マネージャーはお母様同様ステキな女性です!私の憧れです(^^)

    • 島田さん
      公共の場でマネージャーはもうやめて(笑)
      読んでくれてありがとうね。
      しかも休憩室で。
      母業と仕事を両立してる島田さんを尊敬してますよ。
      仕事頑張ってね。

      五島マネージャーより^^

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    ABOUTこの記事をかいた人

    「好きなときに、好きな場所で、好きな人たちと好きな仕事をする」ことが目標。 現在はファッションアドバイザーとして活動中。