東京から埼玉へ引っ越しました

こんにちは、Osabe夫婦の夫のちょーさんです。

久しぶりの投稿です。

今年の8月1日に約11年間住んだ江東区の清澄白河から埼玉県の郊外に引っ越しました。

清澄白河は交通の便が凄くよく、深夜、東京駅から自宅にタクシーで帰っても1700円ぐらい。どこへ行くにも本当便利な場所でした。隅田川を渡れば日本橋人形町・浜町がすぐなので、日本橋で飲んでも歩いて帰ってこれます。

また都心の割には緑も多く、更に清澄白河はとても素敵な個人商店が多いところも気に入っていて、お友達も多いし、なかなか清澄を離れることが出来ませんでした。

でも11年間住んで、他の風景も見てみたいなと思い今年の1月から色々と物件を探していたのですが、中々見つかりませんでした。

東京の西側に住んだことがなかったので、最初は世田谷区や杉並区あたりを探しておりましたが、僕たち夫婦が心から住んでみたいという物件はだいたい15万円から20万円の間

都心でなくても良いのではと思い、友達も多い逗子・葉山・鎌倉に通って物件を探しておりましたが、なかなか良いなと思う物件が見つからず。

コロナ騒ぎで、緊急事態宣言になり不要不急の外出を避けるために一旦物件探しを中断

緊急事態宣言解除後に、物件探しを再開しました。

コロナの影響で僕は、オフィスへ通わずに、リモートで働くことになりました。そして、緊急事態宣言解除後も、リモートの方が仕事に集中出来るのでリモートを継続させて頂いております。

今まで物件を探すときにオフィスへの通勤時間というのも考慮しておりましたが、リモートで作業し、通勤がなくなると物件探しに「通勤時間」を考慮に入れなくて良くなったので、正直、オフィス通勤がないなら高い家賃を支払って東京に住む意味ないのではないかと思いました。

最初物件を探している時は、1LDKで探していたのですが、家で仕事をする時間が増えるので書斎を持ちたいと思い始め2LDKで探し始めました。

東京で2LDKて家賃がぐーんとあがります。清澄で2LDKの物件だと15万以上はします。毎月の固定費は下げたい。

海の近くの物件に住むかと思っていたと友達に聞かれるのですが、僕もそう思っていました(笑)

埼玉に引っ越そうとか物件探しをしていたとき全く考えてなかったのですが、ある切っ掛けで、埼玉に目を向けることになりました。それはまた別に書きたいと思います。

埼玉に目を向けてからも、毎週末、ここだという土地に通って、探し続けました。

一度は妻が借りたいと言う物件に決めたのですが、どうしても僕が窓からお隣さんの屋根が見えるのが好きじゃないということでキャンセルしました。

15軒ぐらいみて今の物件に決めたのは家のすぐ前に建物がないが決め手でした。清澄の家も家の前が桜並木の川だし、実家も家のすぐ前に家なんてなかったので、目の前に家が見える密接しているのが自分は見慣れてなくて違和感を感じていたんでしょうね。

最寄駅からはすごく離れているしバスの本数も少ないけど、とても静かで、空が広いし、直売所もすぐ近くで、地場の野菜が食べれるし、近くの川沿いに桜並木もあって環境も良いし控えめに言っても私たち夫婦のQOL(quality of life)は爆増しております。

日々思います。本当引っ越して良かったな。この家は最高や!

さて、数字が大好きなので、引っ越し前と引っ越し後を数字で比較してみまたいと思います。

途中数字で比較じゃなくなるけど(笑)

  引っ越し前 引っ越し後
広さ(平米数) 22.32m2 60.1m2
広さ 1K 2LDK
家賃(共益費込み) 76300円 => 81300円*1 81810円
最寄駅からの徒歩 7分 35分
周囲に田んぼ なし あり
周囲に畑 なし あり
直売所 なし あり

*1 10年目で家賃が5000円値上がりしました。10年住んで家賃上がったのはびっくりした(笑)

Google Map調べで最寄駅から徒歩35分。これは個人差あるから35分の人もいれば40分の人もいるでしょう。バスの本数は少ないです。免許を持っていないけど車が欲しいと正直思いました。

2LDKが快適すぎる〜!!家賃がほとんど変わらずで広くなって書斎も出来たし。最高!!

そして、驚くべきは妻がアラームなしで毎日6時前に起きて、ウォーキングに行っていることでしょうか!

この土地の奇跡ですね(笑)

清澄時代は、目覚ましかけても起きなかったのに。

ここへんはまた妻に語ってもらいましょう(笑)

久しぶりの投稿はこれにて、終わり、次は書斎の話をしたいと思いますー!

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ABOUTこの記事をかいた人

職業はシステムエンジニア ニックネームは、「ちょーさん」 2016年8月に約11年間勤めた会社を辞め、1年間無職生活を満喫し、2017年からフリーランスエンジニアとして仕事を再開 新しい働き方と生き方を模索中の海と発酵が大好きなエンジニア。 最近の好きな言葉は「決めた未来しか実現しない」と「意識が先、現実が後」