今年は深川七福神巡りをしてみました!

あけまして、おめでとうございます。Osabe夫婦のちょーさんです。

本年もどうぞ宜しくお願い致します!

昨年は仕事に没頭しており、ほとんどブログを更新出来ませんでした。

アウトプットしたいコンテンツは色々あるのですが、何か気分がのらなくて、書かずに時間が経ってしまいあっと言う間に2018年も終わってしまいました。

気分に左右される男なので(笑)

何かためになることを書こうとすると肩に力が入って何も書けなくなってしまうので、今年は気楽に、誰にも読まれなくても良いので自分たちの記録のためにブログ書いていきたいなと思って、2019年に入りもう11日も経ってしまいました(笑)

さて、2019年初投稿は深川七福神のこと書いてみたいと思います。

先日夫婦二人で近所の七福神めぐりをしてきました。僕はかなり前に深川七福神めぐりをしたことあるのですが、妻は初めて

まずは、寿老神様がいらっしゃる深川神明宮からスタートです

寿老神(深川神明宮)

どうですか!寿老神様とツーショットです!

寿老神は、寿老人とも書き、中国道教の神であります。また中国の老子の化身の神ともいわれています。 寿老神は、白髪長寿の老人の姿をして、杖を手にし、杖には人命の長寿を記した巻物を吊し、鹿を伴っています。鹿は、長寿を司る寿老神の神使とされています。寿老神は、人に延命長寿の福徳を授ける福神として、信仰されてきました。 寿老神

こちらでまず色紙(1000円)を購入し、スタンプ(100円)を押して頂きました。

次は清澄2丁目の深川稲荷神社へ!

布袋尊(深川稲荷神社)

恐らく清澄2丁目の町会の方だと思うのですが、深川稲荷神社に観光案内でいらっしゃった方に夫婦二人の写真を撮って頂きました。ありがとうございましたー!

布袋尊は、中国五代のころ、浙江省奉化県に実在した契此という高僧といわれています。大きな袋を持ち、これに食べ物や日常品を入れ、杖をたずさえ、大きな団扇を手にし、身体は低いが、腹は太鼓腹、半裸身、粗衣をまとい、常に笑顔、清貧にあまんじ、諸国を遊行し、子供と遊び、酒脱、楽天的な和尚として親しまれてきました。
また人の吉凶、時の晴雨を予知したといわれました。後梁貞明二年(916年)三月三日、高齢をもって寂したが、年齢は不詳とされています。

中国において、布袋尊を弥勒菩薩の化身として、一般に信仰せられ、画像に描き、彫塑に刻まれ、あるいは置物として、ひろく親しまれるようになり、わが国に伝来し、清廉潔白、大気度量を人々に授ける福神として、禅画や置物までなって親しまれ、信仰されるようになりました。
仏法を永く護る羅漢として十六羅漢がありますが、それに布袋村を加えて十八羅漢とすることも古くからおこなわれています。

布袋尊

次は、毘沙門天様がいらっしゃる龍光院というお寺へ!

毘沙門天(龍光院)

笑顔少なめの妻と毘沙門天様のツーショットです(笑)

朝早かったので、まだ起きていない感じでしょうか。

毘沙門天はインド名バイスラバンナ(ベイシラマダヤ)の音写で、もともとヒンズー教の財富の神であったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ、仏神となったものです。
経典によると、毘沙門天は四天王(持国天・増長点・広目天・多聞天)の随一として須弥山の中腹に住み、大勢の夜叉や羅刹を率いて北方を守護しています。常に仏の道場に在って多くの法を聞き、あるいはその福徳の名声が遠く十方に聞こえることから多聞天と訳され、また財を授けることから施財天ともいわれます。その姿は、身に甲冑をつけ、左手に宝塔を捧げ、右手には三叉戟(三つまたの鎗)を持ち、忿怒の形相で邪鬼を踏みつけ毘沙門立ちをしています。

毘沙門天

次は、大黒天様がいらっしゃる円珠院へ!

大黒天(円珠院)

大黒天信仰には二つの流れがあります。一つは、大黒天を大国主命とする流れ、これは多く神社に祀られています。もう一つは、インド名をマハカーラという仏神の大黒天、これは多く寺院に祀られています。 円珠院に安置されているのは、仏神の大黒天です。インドのシバ神が、悪神を退治した神話から、仏教に取入れられ、摩訶迦羅天すなわち大黒天となり、夜叉荼吉尼衆を降伏する大日如来の化身となり、忿怒の戦闘神の姿をしていました。ところが大黒天はしだいに招福の神となり、忿怒の相が、笑顔の姿になり、台所財宝糧食をつかさどる大黒天となりました。 大黒天

大黒天様はうちの父に似ている気が(笑)

比較のために父に登場してもらいましょう!(母と一緒に登場!)

なんとなく似ていませんか?(笑)

次は、福禄寿様のいらっしゃる心行寺へ!

 

福禄寿(心行寺)

妻にも笑顔が戻ってきました。楽しくなってきたみたいです。

福禄寿は、心行寺の六角堂に安置されています。
福禄寿は、星宿の神、南十字星の化身ともいわれて、長寿をつかさどる人望福徳の福神であります。一説には、中国の宋の時代、嘉祐年間(1056年~)に実在した道士であるといわれています。

福禄寿は、背たけが低く、頭がきわめて長く、白髪童顔の姿をし、年齢数千年といわれ長寿をつかさどる福神、杖を右手に、左に長命の鳥、鶴を従え長命と円満な人格を人々に授ける福神であります。
また福(幸福)と禄(財)と寿(長命)の三つの福徳を授ける神ともいわれてきました。

福禄寿

福禄寿様は頭がとても長い方なんですねー

さて次は弁財天様のいらっしゃる冬木弁天堂へ!

弁財天(冬木弁天堂)

冬木弁天堂は今まで訪れた中で一番ちいさく狭いです。そしてとても混んでおりました。またお金を洗う場所(銭洗い)があります。

私たち夫婦、もちろんお金を洗いましたよ!

冬木弁天は、以前大きな池のある材木豪商冬木家の邸内の弁天堂に安置されていました。現在は境内が狭くなってしまいました。

弁財天は、インド名をサラスバティという川の名、意訳して、大弁天、美音天といわれこの川の神が、悪声を変じて美声に変える音楽の神、芸術の神でした。仏教の神となり、才智弁舌の神とされ、最勝王経に説かれているように、「もし財を求むるならば多財を与える」とあります。わが国では、弁才天より弁財天として、財宝を施す福の神として信仰されるようになり、商売繁盛の富有の福徳を授け、芸道音楽の仏神として位置づけられ、池、川、沼、湖などに多く祀られ、蛇が神使とされてきました。また、同経に、弁財天は、智慧、延命、安楽を与えるととかれています。

弁財天

 

さて、ラストは恵比須神様がいらっしゃる富岡八幡宮(八幡さま)へ!

恵比須神(富岡八幡宮)

深川神明宮から出発して、ゆっくり歩いて約二時間ぐらいでしょうか。最後の恵比寿神様にたどり着きました。コンプリートです!

恵比須神は、富岡八幡宮境内の西側にある恵比須宮に奉祀されています。
エビス神は、イザナギノミコトの第三子にあたる蛭子尊であるといわれ、全国のエビス信仰の中心は兵庫県西宮市の西宮神社です。
一説によるとエビス神は、大国主命の子にあたる事代主命で、釣好きの神であるといわれています。また鯛の故事にちなみヒコホホデミノミコトともいわれます。

恵比須神

私たちは深川神明宮から出発しましたが、八幡さまからの出発でも、または他からの出発でも全然大丈夫です。

途中カフェが色々あるので、コーヒーを飲みながら深川七福神めぐりをしてみては如何でしょうか?

そうそう、色紙にお寺や神社でスタンプを頂くときは毎回100円を納めます。

お正月に七福神めぐりをして、今年もたくさん楽しいこと・福が沢山巡ってくるような感じがしました!

以上、駆け足でしたが、七福神めぐりでしたー!

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

職業はシステムエンジニア ニックネームは、「ちょーさん」 2016年8月に約11年間勤めた会社を辞め、1年間無職生活を満喫し、2017年からフリーランスエンジニアとして仕事を再開 新しい働き方と生き方を模索中の海と発酵が大好きなエンジニア。 最近の好きな言葉は「決めた未来しか実現しない」と「意識が先、現実が後」