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こんにちは。Osabe夫婦、妻のあいです。
先日、夫婦でインタビューを受けることがありました。
必ず聞かれるのがもちろん”夫婦で無職生活をしたこと”について。
このブログは『無職夫婦』として始めましたからね。そりゃ当然。笑
そしてその中で必ず聞かれることが”お金”についてです。
みんなお金大好きですね〜!
大好きなくせにまだまだあまり語られないお金のことを、今日は少しお話ししてみます。
お金が減るのがコワイ
2017年に入った頃、無職になって10ヶ月。
私の貯金残高が100万円を切りました。
会社員のころからいただいたお金はきっちり使い切るタイプで貯金はほとんどできませんでした。
それでも100万のラインはずーっとキープしてたんです。
それが、社会人始まって以来初めて100万を切って定期収入はもちろん無い。
この状況に初めて恐怖で身震いしました。
コワイ、どうしよう、コワイ。
冷静に考えれば「働けばいいじゃん」なんですけどね^^;
私たちは二人で「どこまで行けるか実験だ!」と言っていたのでここは観察。
私の場合は100万円(=だいたい3ヶ月は暮らせる)がひとつの安心ラインなんだな、と気づきました。
皆さんはゾワゾワしちゃう金額っていくらくらいでしょう?
考えてみると面白いかも。
お金そのものをちゃんと見る
減っていくことが怖すぎて、預金通帳をガン見してはまたため息をつく。
そんなことを繰り返していた時に目にした文章がありました。
たしか、こんな内容が書いてあったんです。
預金通帳の数字を見て、増えた減ったと一喜一憂していませんか?
自分の全財産をお札で見たことはありますか?
不安を感じる人ほど、「本当はいくら持っているのか」「負債がいくらなのか」を直視していないもの。
預金全部下ろして部屋に並べてみましょう。
数字ではなくお金そのものをちゃんと見つめた時に、あなたはどんなことを感じますか?
これを読んで、たしかに私は数字しか見てなかったことに気づきました。
でも「現金を並べる?めんどくさいな。もう少ないのはわかってるよ。だいたいこんなものでしょ?」とバカにしてすぐには行動しませんでした。
そんな風にしばらくまた普通に過ごしていても、お金が減る恐怖は変わりません。なんなら増すばかり。
お金を使うこともビビり始めて、ケチるようになりました。
コワイコワイ、失くならないように失くならないように、お金が無いんだから。
全ての選択の基準がお金になってきたころ、苦しくなってきたんです。
お金を使わないようにっていう思考ってつまらない。つかれる。
その気持ちを感じた時に「こんなに無い無いと思っているお金をちゃんと見てみよう」と決心しました。
お金がなくなる恐怖の正体
今年の3月、全財産を下ろしました。
この際だから定期だの外貨預金だの投資信託だの、むか〜しに始めて惰性で続けていたものも全部解約したんです。
手続きも面倒だし、手数料も手間もかかってバカみたいだったけどやるならトコトン!
どうせ普通預金が底をつくのも間近だったのでちょうどよかったんです。
その時の全額、たしか87万だったかな。
お財布の入ったバッグをぎゅっと胸に抱えて銀行を出ました。
交差点で信号待ちをしている時に「あ、今このバッグをひったくられたら全て終わるな」と思い、より一層ぎゅーっと強く握りしめたんです。
でもねその直後にこう思ったんです。
「たった87万円をなんでこんなに握りしめてるんだろう。2人で本気で働けば2ヶ月もあれば稼げるのに。それを失くしただけで人生が終わる?そんなバカな!」
「仮に今この87万円を盗まれたとして、私の人生次の瞬間終わるのか?そんなわけない。私には家族も友人も頼る先はたくさんある。なんとでもなるじゃん。」
「そうなったら家族に借金するのか。怒られるな〜嫌だな〜恥ずかしいな〜。わあ、それだけは嫌だわ><」
バーーっとそんなことが頭をよぎり、奪われないように奪われないようにと握りしめてることがバカバカしくなったんです。
盗られたら盗られただ、仕方ない。とバッグを普通に持ち替えて帰りました。
お金がなくなる恐怖って、お金がなくなることそのものの恐怖ではなく「生命の危機」を感じるから。
でもよくよく考えたらお金がなくなって次の瞬間死んだりしない。
むしろ家族にお金を無心したり頼ることで感じる恥ずかしさや罪悪感、それが私は嫌なんだ!
恐れているんだ。
お金を失うことの恐怖=たぶん家族に怒られる
子供か!笑
ここ盲点でした。
お金ってきれい
さあ、ついに家に帰ってズラ〜っと1万円札を綺麗に並べます。
6畳一間の狭い我が家の床に、諭吉さんがぎっしり。
圧巻でした!
写真もパシャパシャ撮っちゃった。笑
アイキャッチの写真はその時のものです。
お札ってきれいなんですね〜
キラキラしててなんだか凛としてて。
こんな風にお札を並べたこともまじまじと眺めたことも人生で一度もなかったから驚きました。
お金って汚い、お金の話は卑しい、そんな風にいつの間にか思い込んでた自分にも気づきました。
床に並ぶきらきらしたお札を見て私が一番に感じたことは「あるじゃん、ちゃんとココに」
そう。お金がない、とずーっと思っていたけど「ある」
少ないかもしれないけどちゃんと「ある」
それが事実。
あるのに「ないない」と嘆いてたらお金に失礼ですよね。
そして、87枚の諭吉さんを重ねてみたら「たったこれだけのものに固執して生活のほとんどを左右されて、私は何がしたいんだろう」とも感じました。
なんだかとてつもなく大きな怪獣を自分で作り上げてそれに勝手に怯えているだけなのかもしれない。
複雑にしているのは自分で、本当はとってもシンプルなんじゃないか。
自分のお金と他人のお金
2016年3月に会社を辞めて夫婦二人で無職生活を1年。
こんなにも恐怖を伴いながらお金に向き合った期間は人生でなかったかもしれません。
見つめるほどに「自分のお金」ってなんだろうと思い始めました。
「私のもの!だって苦労して稼いだんだから!!!」「奪われたくない。減らしたくない」とぎゅーっと守って握りしめていることって何の意味があるのかな?
お札に名前なんて書いてない。
私のお財布に入ってるときには「私のお金」
でも何かを買ったときには、その瞬間に渡した相手のお金になる。
その人はまたどこかで誰かにお金を渡して、そしてまた誰かは誰かに。
それが永遠に回ってるだけで、私のお金は誰かのもので、誰かのお金も私のもの・・・・境目なんてないんじゃないか???
ジャイアンみたいだけどそんな風に思えてきちゃったのです。笑
循環してるだけ。
そう思うと心よく出せるようになってきて。
逆にお金をいただくことも抵抗が小さくなってきました。
払うことが苦痛だと、いただくことも相手にとって苦痛だろうと申し訳なくてできなかったんですよね。
もちろん今でも私はすっごくケチなところもあるので出し渋ることがたくさんあるけど、そこは訓練中。
ありがたく、たくさんお金をいただきたいのでね。笑
そのお金で何がしたいのですか?
「お金がなくなる不安はないですか?」と聞かれます。
もちろん毎日不安ですよ!!!!
(今はちょーさんが働いて食べさせてくれてるけど、私の通帳残高は最低記録更新中です)
心臓がぎゅうっとなって苦しいですよ。
でも、そんなときは何にそんなに不安になってるのか考えてみるといいかもしれません。
病気になったらどうするの?今の生活が維持できなくなったら?・・・とか不安要素は人それぞれだと思うので。
その状況になったら本当に自分のお金だけでどうにかなるのか?自分だけでどうにかしなきゃいけないのか?助けて!と言っちゃいけないのか?
そして、そんな不安ばかりを数えて生きていきたいのか。
私はお金はたくさん欲しい。
自分がやりたい、行きたい、食べたいと思ったことを叶えるために。
時間とセットでね。
そしてそれと同時に何か困った時には助けてくれる友人と居場所をたくさん作っておこうと思ってます。
そして「助けて!」と素直に言える自分でありたい、とも。
でもね、正直困ったことが起きた場合はね・・・
「その時考えます」
だってその時にならないとわかんないもん^^;
私はそんな風にシンプルな答えに行き着きました。
(あ〜、また怒られるだろうな〜^^; まあいっか。)
全財産をちゃんと触る。見る。匂いを嗅ぐ。
やってみると面白いかもしれませんよ。
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